地球に笑顔があふれますように!

藤田 隆子

スタディツアーに参加して

セカンドハンドの活動を知って7年になる。その間ずっとスタディツアーに参加したいと思っていた。今回ようやくその願いがかない、ツアーに参加することができた。わずか10日間という短い期間ではあったが、観光目的のツアーでは決して体験できないさまざまな経験をさせてもらい、これまで自分が持っていたカンボジアという国に対するイメージが大きく変わった。国際協力や今の日本の状況、人間の幸せについても考えさせられた大変意義深いツアーであった。

今回のスタディツアーの一番の目的は、スヴァイリエン州の職業訓練センターの開所式である。スヴァイリエンは、ベトナムと国境を接するカンボジアの東南端の州である。住民の多くは農民であるが、土地が貧しく、農業だけでは暮らしを支えていくことができない人も多い、カンボジアの最貧州ということだった。その州都スヴァイリエン市のピートヌー小学校の校舎建設をセカンドハンドが支援したことから、女性たちが経済的に自立できるように技術を身につける職業訓練センターの開設という新しいプロジェクトが始動し、今回の開所式にいたったわけである。開所式前日から現地入りし、開所式に備えて仏式のお祓いを4ヶ所でおこなった。この職業訓練センターはお寺の敷地の中に建てられているのだが、そのお寺の僧侶たちだけでなく、在家の方たちもたくさん集まっての盛大なお祓いであった。さらに、式当日には、学校も休みとなって、1000人あまりの人が参加し、大変立派なセレモニーが行われた。このセレモニーとその前後のできごとから、職業訓練センターがこの地域の大きな期待を背負っているということがひしひしと感じられた。今回のツアーに参加するまでは、セカンドハンドがおこなっている支援についてぼんやりしたイメージしか持てていなかったが、それがこのように具体的な形でカンボジアの地に実を結び、人々に受け入れられているということがよくわかった。日本でセカンドハンドの活動に携わっていく上での大きなエネルギーをもらったように思う。 また、開所式の翌日には、この職業訓練センターで訓練をうけたいと志願している人たちへのインタビュー調査に同行したが、インタビューをとおして、スヴァイリエンの女性たちがどのような生活をしているかがよくわかり、職業訓練センターの意義がより鮮明になった。インタビューをしたのは7名であるが、その中でとくに印象に残った二人の女性について述べたい。 まず一人は、昨年夫をなくした54歳の女性である。彼女は、かつてポルポト派が政権をとるまでは高校で教師をしていたということであった。私自身が教師であることもあって、彼女へのインタビューはとても他人事とは思えなかった。ポルポト時代には医師・技術者・教師などは、潜在的な批判勢力と考えられ、経歴がわかれば処刑されたという。たとえ経歴を隠しとおせたとしても、厳しい強制労働と劣悪な栄養状態の中で生き抜くことは難しかっただろう。本当によく生き抜いたものだ。彼女の指は、強制労働のつけで曲がったままになっていた。顔に刻み込まれたしわも深く、彼女が送ってきた人生の厳しさがにじみでているように感じた。ポルポト政権崩壊後は自宅で子どもを育てるかたわら、近くの子どもに読み書きを教えたりしていたそうだ。なぜ教師に戻らなかったのかという問いに、夫がそれを望まなかったからと答えていたが、教師に戻って、もしポルポト派が再び政権を握ったら今度こそ生きられないという恐怖もあったのだろうか。ようやく内戦がおさまり平和を取り戻したカンボジアだが、恐怖の記憶は今もなお人々の心に深く刻まれているのではないかと強く感じた。しかも彼女の場合、ようやく平和になり幸せに暮らせると思った矢先に夫をなくしてしまったのだ。なぜこんなにつらい人生を送らなければならないのだろう。涙ぐむ彼女を見ながら、日本でのんびり教師をしている自分がなんだか申し訳なく思え、職業訓練プログラムに参加することで、彼女が再び笑顔を取り戻すことができれば・・・と祈らずにはいられなかった。

もう一人は、警察官の奥さんである。警察官といっても給料は月にわずか15ドルである。それだけでは家族四人はとても暮らしていけず、親戚から土地を借りて米を作っているが、ここ数年は干ばつや洪水で米がとれないため生活がさらに苦しくなっていて、娘さんを学校にやることもできないということであった。地球規模での異常気象が問題となっている。その原因はさまざまであるが、先進国の出す二酸化炭素や排気ガス、それに木の伐採などもその大きな原因であろう。しかしそうした先進国の行為の結果で苦しむのは、発展途上国の人たちなのである。私たちが日本でおくっている豊かな生活は、他人を犠牲にして成り立っているのではないかと考えるとやりきれない気がした。

このほかにも、交通事故で片足をなくしたご主人の年金で暮らしている女性や、土壁の家に住む少女、また路傍でおかゆを売る家の少女などの話を聞いた。少女たちの話を聞きながら感じたのは、親が子どもの心配をするのは、いつの時代・どの場所にもあるとしても、ここでは、心配の先の選択肢がないということである。同じカンボジアでも、首都プノンペンの富裕な層は、子どもを大学にやることができる。しかし、ここでは、子どもに学歴をつけさせようにも、職業のためのスキルをつけさせようにも、親にその経済的な余裕がない。その結果として、親の世代の貧困がそのまま子どもにうけつがれていく。どこかで、この貧困の再生産のサイクルを断ち切らなければ、今後貧富の差はますます拡大していく。この職業訓練センターの活動によって、スヴァイリエンの女性たちが自分たちで金を稼ぐ手段を得られるようになれば、そうした現象にいくらかは歯止めがかけられることになる。セカンドハンドの活動が、単なる経済的支援だけでなく、カンボジアの人々の幸せに直結しているということをしみじみと感じた。

さて、このように書いてくると、人々はとても不幸のようにみえるが、決してそうではない。 ツアー二日目に、10校めの建設支援となるアングモントレイ小学校を訪問した。着々と建設が進む新校舎のかたわらにある校舎は、天井に穴があいており、そこから空が見えた。しかし、そこで学ぶ子供たちに、将来どんな職業につきたいかとたずねたら、全員がまっすぐに手をあげ、それぞれの夢を語ってくれた。学校は楽しいかという問いにも、全員がはじけるような笑顔でイエスと答えてくれた。貧しくとも、学ぶことの喜びと希望が彼らの表情にあふれていた。また、スヴァイリエンでの滞在中に、ホームステイをさせてもらったが、そこはガスも水道も電気もない家だった。だが、家族が心から私を歓迎してくれ、とても居心地がよかった。たしかに物質的には不便だが、それは決して不幸ではないのだと思った。むしろ、小さい子でも井戸の水汲みや薪割りなどをして、家族で助け合って生きている姿に、たくましさを感じた。今回のツアーではアンコールワットも訪れたが、アンコールワットができた13世紀よりずっと以前から、人はそうやって助け合って生きてきたのだ。カンボジアには、そういう人間本来の暮らしがしっかりと残っていると思った。このホームステイ先の家で朝をむかえたとき、家にさしこむ朝日を見ながら、精一杯に生きていることのすばらしさ、生かされていることへの感謝を感じずにはいられなかった。このツアーに参加する前には考えてもみなかったことである。帰国してだいぶ時間がたつが、今でも朝がくるたびに、そのときの身震いするような感覚を思い出す。そして考えてしまう、カンボジアで大地に足をふみしめて生きる人々と、日本で、生きているという実感が乏しいまま毎日を暮らす自分たちはいったいどちらが幸せなのかと。とかく内戦と貧しさのイメージで語られてしまうカンボジアであるが、そこには、日本人が発展の中で置き忘れてきた豊かさと希望がある。自分たちのものさしで相手が幸せか不幸かを決めることはできないと感じた。 最終日の昼食は、プノンペンの王宮近くのレストランであった。ツアー一行4人のテーブルにそれ以上の人数のウェイター・ウェイトレスがついていて、とても居心地が悪かった。自分たちは金に物を言わせて「札束で人のほほをたたく」ような傲慢な振る舞いをしているのではないかと気になってしょうがなかった。援助にも同じことが言えるのではないか。貧しい相手に金を恵むというのではなく、お互いを尊重しあったうえで、足りないものや必要なものを分かち合うという感覚こそが大切なのだと思う。今後セカンドハンドの活動や教師としての自分の仕事に取り組む際に、その視点を忘れずにいたいものである。それが、あのホームステイ先の家族に恥じないように生きることにつながると信じて。

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