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地球に笑顔があふれますように!カンボジアってどんな国? |
データ
人口: 1,100万人
農業人口: 全体の84%
15歳未満: 人口の47%
民族構成: クメール人90%、中国人、ベトナム人、チャム人、約30の山岳民族
宗教: 上座部仏教90%、イスラム、キリスト教、民間信仰
言語: クメール語
首都: プノンペン(人口約100万人)
面積: 181,040km2(日本の面積の約半分)
気候: 熱帯モンスーン気候(雨期5月〜10月、乾期11月〜4月)
現代歴史
1953年:フランスから独立
1953−1970:「カンボジア王国」
シハヌーク時代 と呼ばれるこの時代は王政。平和な時代でした。
1970-1975年:「クメール共和国」
シハヌーク王子外遊中に、米国の後援を得たロン・ノル将軍のクーデター、および同じ頃始められた米空軍による強力な空爆をきっかけに、カンボジアの運命は大きく暗転しました。共和政のロン・ノル時代は多くの死者と200万人を超える国内避難民を出した、5年間の内戦時代。
1975-1979年:「民主カンプチア」
ポル・ポト時代と呼ばれるこの時代は過激な共産主義 。市場、貨幣、学校、教育、寺・仏教すべて否定されたカンボジア国内で、人々はサハコーと呼ばれる強制収容所で強制労働を強いられました。元軍人、公務員、教師・医師・技術者などインテリは、敵もしくは潜在的敵として虐殺されました。この時代、人口約900万人のうち、約200万人の方が不自然な亡くなり方をしました。
ポル・ポト政権は中国の強力な支援を受けていました。
1979-1991年:「カンプチア人民共和国」
(ヘンサムリン時代)ベトナム型社会主義
1991年後半-1993年
SNC設立とUNTACによる国連統治の時代
1993年〜
1993年6月以降、憲法制定議会が発足し、9月立憲君主制を礎とする新憲法制定後、国内および国際的に承認される「カンボジア王国」が発足し、ラナリット第一首相、フンセン第二首相を軸に置いた新生カンボジアがスタートしました。しかし、ポト派による内戦継続、1,000万個の地雷、新政府内部での紛争、汚職の蔓延、貧富の格差拡大などにより、復興への道は順調ではありません。
1997年、クーデターでラナリット氏は国外追放され、第一首相にはウン・フォット氏が就任。
1998年7月、国連監視のもと総選挙が行われ、人民党フンセン氏が首相に就任し現在に至っています。2002年2月3日にはまた総選挙が行われます。
資料 (98年頃のもの)
平均寿命: 50.4歳(1979年ー31歳)
医師普及率: 26,731人に1人
乳児死亡数: 117人(1000人当たり)
小児死亡数: 181人(1000人当たり)
教師普及率: 115人に1人
平均就学年数: 2.0年(男2.3年、女1.7年)
成人識字率: 38%(男52%、女24%)
労働人口の割合: 43%(うち女性56%)
安全な水へのアクセス: 都市20%、農村12%
GDP: US$200
GDP成長率: 5.2%%
援助の国家予算にしめる割合: 40%
参考図書
- 「カンボジア最前線」 熊岡路矢著 岩波新書
- 「NGOが見たカンプチア」 エバミシリビエッチ著 連合出版
- 「ポルポト派とは?」 小倉貞男著 岩波ブックレット
- 「地雷に浮かぶ国カンボジア」 名倉睦生翻訳
・・・現在は他にもたくさんの本が出版されています。
ビデオ
「キリング・フィールド」 アメリカ人ジャーナリストとカンボジア人の助手が、1975年のプノンペン陥落に遭遇した実体験を基につくられた映画。クメール・ルージュ支配下の恐怖政治の様子が克明に描かれている。
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