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電気があって、綺麗な道路があって、母さん父さんがいて、ゴミを捨てる場所があって、情報交換ができて、綺麗な水があって....私は、毎日を当たり前のように過ごしてきた。3月16日からカンボジアに行くまで、それがどんなに幸せな事か気づきもしなかった。初めて見たカンボジアは道路には白線が無いし、バイク乗り4人家族乗りは普通だし...私の知っている道路では無かった。都市では、たくさんの車が行き交いしてると思えば、15分も走ると、デコボコの道で、両側には果てしなく広い土地と、ポツポツと生えている高い木しか見当たらない道を走っていた。私は日本では考えれない事を、見たり、聞いたり、体験したりした。また、忘れないだろう事を感じてきた。私がこのツアーに参加した理由は、自分の目でカンボジアを、また自分達の支援の成果を見たかったからだ。
私は子ども達の笑顔・明るさが忘れられない。サクリエム小学校に行った時、地雷がまだ完全に撤去されていない地区だと聞かされた。私は聞いただけで足が縮こまってしまった。そんな中、子ども達は走り回っていた、そして屋根が落ちそうな校舎で一生懸命勉強していた。日本では勉強が当たり前になって、時には私も勉強が嫌になる事がある。私たちは思う『なんでしなくちゃいけないんだ。』…違った。勉強できるって、すごく喜ばしい事なんだって思った。 ホームランド孤児院では、HIVで親がいない子、虐待を受けた子、親に見放された子が60人弱いた。 一人の17歳の女の子に「私には家族がいないけど、あなたは何人家族?」 と聞かれた時、私はそういう話題を避けていたので、答えに戸惑った。自分達の状況を理解し、きちんと地に足をつけて強く生きている様を見習いたいと思った。子ども達の笑顔は光っていた。私の笑顔でみんなを笑わせることができるなら、私と遊んでみんなが楽しいと思うなら、私はずっと遊んでいたいと思った。学校に通えなくて、物乞いをしたり、商売をしたりして生活を営む子どももいた。日本では学校に行くのが当たり前で考えられない事で、正直自分がその子だったら、逃げ出したくなるなぁと思った。
私は大人の人のオーラが忘れられない。
ラチャナや訓練センタ-では、今まで目には見えてこなかった、カンボジア商品にありがたみを感じた。約30人の女の人たちが、織って布を作るところから綿を詰める作業まですべて手作業で行っていた。綿詰め作業を実際にやってみたが、もう指先がつりそうになった。女の人たちは、何らかの苦労を抱えながらも、生活を営むために一生懸命働く姿を見ると、この人達の生活支援のためにも日本で商品を買うことはどれだけ大事か、肌で感じた。偉い人のパーティーに呼ばれたときも、プノンペン市の市長さんも、シスターレンも、数々の苦労を乗り越えて、数々の努力をして今に至っているオーラが凄まじかった。私はこの人達のような努力はしているのだろうか、いつの間にか現実から逃げて楽をしていないだろうか。私はこの人達のようなオーラが出せる大人に、一歩ずつ近づいていきたいと思った。
1日は長く感じたけど10日は短く感じた。日々を過ごす中で、語学力は本当に大切だと思った。伝えたい気持ちが言葉に出来ないもどかしさは辛かった。そういう面でも、私に勉強の意欲を引き出させた。同じ地球上で、同じ時が流れていても、環境や過ごし方が全く違う。当たり前だった事が当たり前じゃない生活。私には時間が、物が、お金が全てそろっている。だからこそ、私なりの無駄のない時間の過ごし方をしたいし、しなくちゃいけないと思った。カンボジアの人達のように、心の強さを持ち続けたいと思う。
私はカンボジアを忘れない。また、出会えた人達に感謝したい。